麻雀のルールの話(4)
昭和時代の麻雀入門書を古本屋で見つけました。昭和50年(1975年)7月30日発行ですので、40年以上前の書籍です。私が麻雀を覚えた時よりも数年前の書籍。
入門麻雀教室 延一平著、昭和50年7月30日 土屋書店発行
昭和30年以降書籍リストや国会図書館の情報では1969年発行とあり、私が買った書籍は新版なのかもしれません。
共通ルールが定まっていない時代の麻雀入門書
現在でも、大富豪や七並べのようなトランプゲームはローカルルールだらけです。ポーカーは賭場だったり大会などで共通ルールが必要になりますが、そうで無いゲームはローカルルールができやすい。麻雀も、この時代は仲間内で楽しむことが主であり、統一されたルールがあまり必要とされない時代でした。
この書籍は「報知ルール」を基本にしていますが、仲間内のルールがあればそれに従うように推奨されていますし、計算方法や役についても複数の方式があることが書かれています。
入門麻雀教室 延一平著、昭和50年7月30日 土屋書店発行、P.29
ルールについて
本書P.170には「ここでは一般に行われているポピュラールール(つねに場に二ゾロがつき、クイタンヤオあり、カンすればドラがふえる。うらドラ、リーチ一発、オープンはない)にしたがうことにした」と書かれています。現在一般的な裏ドラや一発は普及途上だったようです。
「ピンフの場合以外はすべてつもには二点がつき」「もちろん、メンゼンのピンフをつもれば、ピンフにつもの二ハンとなり、つもの二点はつかない」とあり、自摸平和についても現状と同様の扱いになっています。
点数計算
符の計算方法も細かく1点単位で計算する方法や、10符単位への切り上げ、現代のように計算結果を100符単位で切り上げるなど複数の方法が紹介されています。
得点の早見表は、場ゾロのない1翻から書かれています。
入門麻雀教室 延一平著、昭和50年7月30日 土屋書店発行、P.29
場ゾロの2翻については本文に「ドラ牌ゾロ場 一翻から七翻」とだけ書かれていて、ゾロ場の定義が見当たりません。本書末の点数計算問題では無条件に場ゾロ2翻を加えていますので、このころには当たり前になっていて、定義を書く必要すら薄れていたのでしょう。早見表も場ゾロ込みにした方が親切だと思いますが、ルールが統一されていない時代の書籍としては仕方ないですね。
ちなみに「麻雀点数論11」には以下のように書かれています。私は同様の文章を書籍で読んだ覚えがあります。阿佐田哲也さんの本だったかなあ?
昭和20年代後期にかけて、「常時、場に両翻(二翻)」というルールが定着してきた。いわゆる「両ゾロ」とか「場ゾロ」と呼ばれるもので、アガリの役数(翻数)に常に 二翻を加算する。
この「場ゾロ」は、もともとサイコロの出目によってつけられた。すなわち振りサイの出目が普通のゾロ目であったときを「小(こ)ゾロ」と称し、アガリに一翻加算する。1(ピン)ゾロ、あるいは6ゾロのときは「大ゾロ」と称してアガリに二翻加算した。そしてこのゾロの一翻、あるいは二翻が加算される局を「ゾロ場」と称した。ところがやがて、それが「ゾロ目のときだけ一翻、二翻プラスなんてみみっちい。いっそのこと常に二翻加算しよう」というところから、そうなってしまったものである。
七対子
本書P.52には「特殊の役で、得点は親が600点、子が400点ときまっています」と書かれています。2翻の項目にあるので、これを4倍するということなのでしょうか。本書内でも場ゾロの扱いが不統一なので、どう理解していいものか悩みます。
開門
古式ゆかしい方法が紹介されています。これだとドラがめくれないのですが、次のページに現代式と称して今風のやり方が書かれています。ならばわざわざ古式を最初に書かなくても良さそうなものですが、こちらが正式だという感覚があったのでしょうか。ちなみにサイコロは一度振りです。
私はこの方法は本書を読むまで知りませんでした。いつごろまで使われていた方法なんだろう?
壁牌論には下記のように書かれています。嶺上牌の語源はここから来ていたのか……
このため中国古典麻雀では、開門箇所が決まった後、王牌第7段の上段牌を他の王牌の上に置き直していた。こうしておけば開槓があった時、末尾牌を簡単に取得できたからである。
(図5)中国古典麻雀式
第1嶺上牌 第2嶺上牌
↓ ↓
□ □ 壁牌
(上段) □□□□□□ □□□□□□□
(下段) □□□□□□ □□□□□□□
↑海底牌こうして見ると、何か王牌の上にしっぽができたような感じがする。そこでこれを尾(ウェイ)と 称した。また積み上げた牌が、高山の嶺を彷彿とさせるので、これを嶺の上の牌、すなわち嶺上牌と称した(英語では LOOSE TILEと呼ばれる)。
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